《形に残す思い》
昨日お世話になった叔父さんが亡くなった。ボクにとって親父代わりとなってくれた人です。数々のいろんな場面で迷惑をかけて助けてもらった人。停学になった時にも一緒に学校に行ってくれたり、事故を起こした時にも謝りに行ってくれた。いつも道を外したときにいてくれた人です。
叔父さんはとても几帳面な人で地域の人からも信頼されていた。みんなから頭を下げられ議員をしたこともあった。人望もアツイのだ。几帳面差からいえば、毎日カレンダーに今日あった事やおぼえ書きをたくさんしていた。それもビッシリだった。それをネタに毎日日記を書いていた。その日記も何冊もあった。
84歳の人生が昨日終わった。その人が生きてきた最後である。死に対して恐れるものはない。そこに現実があると考える。悲しさというより、感謝の気持ちでいっぱい。
几帳面な叔父さんの最後を形として残したくて、写真を撮ります。本人の最後の最後まで形に残すのは少し滑稽なことなのかもしれないけど、叔父さんらしい最後を残したいと思いました。
その昔、親父が死んだとき。眠っている親父の顔をスケッチしました。お通夜の夜は時間がたっぷりあります。これでも画家の端くれ、最後に自分にできることは?と考えた時、自然に鉛筆を手に取りました。
かのピカソにもそんなエピソードがありました。ピカソのスケッチは想像もつかないくらいに写実である。本当にスゴイのである。
いつも思う。
もし、自分にしかできないことがあれば、それは精一杯したいと思う。ボクにしかできないことで喜んでもらえるのならという思いである。
昨日お世話になった叔父さんが亡くなった。ボクにとって親父代わりとなってくれた人です。数々のいろんな場面で迷惑をかけて助けてもらった人。停学になった時にも一緒に学校に行ってくれたり、事故を起こした時にも謝りに行ってくれた。いつも道を外したときにいてくれた人です。
叔父さんはとても几帳面な人で地域の人からも信頼されていた。みんなから頭を下げられ議員をしたこともあった。人望もアツイのだ。几帳面差からいえば、毎日カレンダーに今日あった事やおぼえ書きをたくさんしていた。それもビッシリだった。それをネタに毎日日記を書いていた。その日記も何冊もあった。
84歳の人生が昨日終わった。その人が生きてきた最後である。死に対して恐れるものはない。そこに現実があると考える。悲しさというより、感謝の気持ちでいっぱい。
几帳面な叔父さんの最後を形として残したくて、写真を撮ります。本人の最後の最後まで形に残すのは少し滑稽なことなのかもしれないけど、叔父さんらしい最後を残したいと思いました。
その昔、親父が死んだとき。眠っている親父の顔をスケッチしました。お通夜の夜は時間がたっぷりあります。これでも画家の端くれ、最後に自分にできることは?と考えた時、自然に鉛筆を手に取りました。
かのピカソにもそんなエピソードがありました。ピカソのスケッチは想像もつかないくらいに写実である。本当にスゴイのである。
いつも思う。
もし、自分にしかできないことがあれば、それは精一杯したいと思う。ボクにしかできないことで喜んでもらえるのならという思いである。