日本画家 井木紫人について

2002年、素晴らしい金魚(らんちゅう)と出会いました。
らんちゅうの模様や泳ぎ、美しさ、形、すべてに魅かれました。
それから「誰も描いたことのない金魚画を描きたい!」
と思いはじめ伊藤若冲の鶏ように家の庭で本格的に金魚を飼い始めました。
より自然に近い形で飼育し本格的な飼育方法を学び試行錯誤を重ね、本当の金魚の楽しみ方を知りました。
そのすべてを絵にすることこそが自分の進むべき道だと考えました。

〜掲載誌とご購入について〜
日本画家 井木紫人の作品購入については(株)美術新星社 発行『美術市場2013』、株式会社美術年間社の『美術年間 art annual 2013』掲載に基づき1号=¥35,000よりとさせていただきます。

ART studio GENCOについて
『アートスタジオジェンコ』はイラストとデザインを中心としたブランドです。井木紫人は日本画、ジェンコはイラスト&デザインです。日本画作品とは価格が異なっております。



お問合せ先 ranchiu@hm10.aitai.ne.jp
日本画家 井木紫人

2012年7月27日金曜日

ブラジルの子



 久しぶりに真剣に本を読みました。
『マクラーレン MP4/4』
大好きなイラストレーターが表紙を描いてます。


 12年前の事。
仕事でブラジルに行きました。
2週間程滞在し、最後の日は移動のためサンパウロに泊まる事となった。夜中のフライトの為昼間観光できるという事となり。案内してくださる方に何処に行きたいですか?と聞かれ、どーしても行きたい場所があった。

 この7年前にアイルトン・セナは亡くなった。その後、遺品を展示するセナ展を観に行ったり、特別番組もたくさん見ました。その中で印象深かったのはお葬式のシーン。プロスト、ベルガー、シュチュアートの有名選手が棺を担いでいました。そこは郊外にある墓地。「モルンビービレッジに行きたいんですが?」と言ってみた。「よくご存知ですね~」と案内してくださるあばちゃんは応えた。「もう一つあります!インテルラゴスのホセ・カルロスパーチェ・サーキットは遠いですか?」「あっ!そこはモルンビーの通り道にあるので寄ってから行きますか。」

「お願いします!」

 ホセ・カルロスパーチェ・サーキットはセナの地元サーキット。一般的にはインテルラゴスと言われてます。こちらは地区(州)の名前なんです。この場所は数々の名勝負が行われた場所であり、セナにとってはブラジル初優勝のサーキット。セナはF1ドライバーになってブラジルではなかなか勝たせてもらえなかった。他の国では数々の素晴らしいポールポジションやスーパーラップ、優勝経験の記録があります。1991年のインテルラゴスでミッションがぶっ壊れて6速だけで走りきり、優勝トロフィーも上げられないくらい手がシビれ身体もボロボロになって優勝をした場所。あの名場面を思い出す。雨でしたね。すべてがセナを見方にした。初めてセナを見たのは鈴鹿。キャメル・イエローに包まれポールポジションにいるセナを目の前で見た。その後セナプロ対決に至るまで何度か鈴鹿に足を運んだ。熱烈なファンではないが、1ファンになったのは確かだった。1991年のあのシーンを思い出しながらグランドスタンドに立ち表彰台を見た。インテルラゴスのストレートは思いのほか上りだった。テレビで見るのとゼンゼン違っていた。

 その後、モルンビーに行った。確かにテレビで見たあの場所だった。案内してくれたサンパウロに住む日系二世のおばさんが言う。あの日は、サンパウロの街が止まったと言う。セナのお葬式は国葬でした。消防車に載せられた棺はサンパウロ市内を廻った。大きな通りを走る棺を見るために、たくさんの国民が大通りに出てきたため、バスなどの街の交通機関が止まってしまったという。弔問に集まる記帳者の長蛇列もスゴかったらしい。
セナが国民から愛されたブラジルのスーパースターだった事は言うまでもないが、日本でもスーパースターだった。日本(鈴鹿)で神を見た!ことでも有名。墓石の前に立った自分にもその感動が伝わってきた。セナは一般市民が埋葬された墓地の中心にいました。イッペイの木の下にアイルトン・セナ・ダ・シルバは眠っています。「神の愛は永久に我が身に降り注ぐ」(直訳=わたしから神を引き離す事は出来ない)と墓石に記してあった。彼が熱心なクリスチャンでよく聖書を脇に抱えサーキットに現れていたのを思い出す。その聖書には「この聖書には、あなたを栄光にへと導く近道があり、神にあなたの人生をハンドルに委ねなさい」と書いてある。

セナの母親が言っていた。「アイルトンは私たちの子どもです。本当はいつも会えるセナ家のお墓に入れたいのだけれども、今はみんなに愛されるブラジル国民の子だからあの場所に埋葬するのが1番いい。」