歴史といえば人気なのは、やっぱり戦国時代か幕末、明治維新ですよね。シブすぎるかもしれませんが古事記、好きっす。
なぜ、我々日本人は神社にお参りするのか?なぜ、こんなに神様が多いのか?まったく理由を知らないでお参りしているのが現代の我々であります。そこが長年の疑問でして、ある方のすすめで古事記と日本書紀をコツコツと枕元で読むようになりました。
なぜ、日本のルーツは伊勢神宮なのか?出雲大社なのか?なぜ日本サッカーのシンボルは八咫烏なのか?三種の神器とは?猿田彦神社と外宮と内宮の関わりとは?
本を読むに連れ、日本の歴史、八百万神から天皇へと繋がってくるのです。とても興味深い話が古事記や日本書紀には書いてあります。
とある番組取材でロンドンブーツの淳が熱田神宮の「信長塀」の話をロケで言ってました。とても気になってました、やっと(古事記で)そのページに辿り着き理解しました。
第12代景行天皇の息子、日本武尊(ヤマトタケル)は兄を殺すほどの恐ろしさから父は西国を制圧する命令を出しました。制圧したのち一旦は大和に帰るも、その恐ろしい勢いはまったく無くなっておらず、むしろ力は増しており、それを恐れた父は今度は東にも行けと言ったのです。途中立ち寄った伊勢神宮にいる叔母に『草薙剣と火打石』お守りにもらい東の国をおさめた後、帰路に尾張の国のミヤズヒメと結婚して、そこに草薙剣を置いてきたのが熱田神宮にある御神体となる『草薙剣』のルーツであると記してあります。その西と東を制圧したスゴさから、織田信長もココ熱田神宮に『桶狭間の合戦』の前に勝利祈願をしたようです。そして戦のお礼参りとして400mの塀を作ったらしいです。草薙剣は三種の神器の一つです。
神話と言われる古事記や日本書記も熱田神宮のみならず伊勢神宮の御神体である『八咫の鏡』も実際に式年遷都でも知っての通り存在する物でありまして、まったくの神話でないところが、またオモシロいのであります〜